大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

東京地方裁判所 昭和31年(モ)10257号 判決

申立人 株式会社アイゼンベルグ商会

右代表者 シヨール・アイゼンベルグ

右代理人弁護士 沼生三

被申立人 株式会社保谷クリスタル硝子製造所

右代表者 山中茂

右代理人弁護士 旦良弘

主文

本件申立は、却下する。

訴訟費用は、申立人の負担とする。

事実

≪省略≫

理由

(当事者間に争いのない事実)

一  被申立人が申立人主張のような理由に基いて申請した東京地方裁判所昭和三十一年(ヨ)第七、二一〇号意匠権模造品仮処分申請事件について、同裁判所が同年十二月五日、申立人主張のような仮処分決定をしたこと及び右決定が申立人に送達されたことは、当事者間に争いがない。

(本件仮処分によつて申立人が蒙る損害)

二 まず、本件仮処分によつて、申立人がいかなる損害を蒙つているかを見るに、成立に争いのない甲第十号証の一から三、証人荒井一夫の証言によつて成立を認め得る甲第八号証及び第十一号証並びに同証人及び証人西村謙吾、同木村有朋の各証言を綜合すれば、

申立人は、本件仮処分によつて、従来アメリカ合衆国に向けていたシヤンデリヤ用クリスタル硝子片の輸出ができなくなつたため、少くとも、これまでの実績からすれば、一ヵ年に六十三万円余、下請工場の生産能力及び受注の増加を見込めば、多くて一ヵ年百四十五万円余の得べかりし利益(その額は、かならずしも、申立人主張のとおりであることは明らかではないが。)を失つていること、申立人の下請会社である光和クリスタル硝子株式会社に対し、昭和三十一年六月末までに合計五百九十八万円余、北信硝子有限会社に対し、昭和三十年十月頃までに合計約百十六万円の融資をし、その回収が困難になつていること及び在合衆国の顧客から、本件仮処分を契機に、注文取消の通告を受けていることを一応、肯認することができる。

三、しかし、前記下請工場に対する融資物資の回収が困難になつていることによる損害については、その損害の発生が本件仮処分に起因するかどうかという因果関係が、本件における疏明をもつてしては、明らかでないし、前顕各証拠に、成立に争いのない乙第一号証を綜合すれば、申立人会社の営業種目は、被申立人主張のとおり広範囲に及び、本件で問題とされているシヤンデリヤ用クリスタル硝子片は、その利益率は他の輸出商品に比較して高いものではあるが、それでも、その全営業部門で占める比率は、さほど大きくなく、申立人が取り扱う輸出雑貨品中の五割を占めるが、雑貨品目体が、輸出総額の一割に過ぎないことが推認される。

はたしてしからば、他に特段の疏明のない以上、申立人が本件仮処分によつて蒙る前記認定の程度の損害は、本件のような仮処分に伴つて、所有者が当然受忍しなければならない、いわば通常の損害であり、いまだ、本件仮処分を取り消すべき事由といえるほどの異常な損害であるとは認め難い。

(被申立人の受ける利益及びそれが金銭補償により終局の目的を達し得るかどうかについて)

四、しかのみならず、申立人は、被申立人が本件仮処分を維持することによる利益、換言すれば、本件仮処分が取り消された場合に被申立人が蒙る損害は、本件意匠権の実施料相当額であり、仮りにそうでないとしても、申立人が本件仮処分によつて蒙る損害に比較すれば、遥かに少く、いずれにしても、結局、金銭補償をもつて終局の目的を達し得るものであると主張するけれども、

成立に争いのない乙第二、第十二、第十三号証、証人ヒユーコー・シユレージンガーの証言によつて成立を認め得る乙第三号証から第五号証、証人伊吹芳郎の証言によつて成立を認め得る乙第十号証に証人ヒユーコー・シユレージンガー、鈴木哲夫及び伊吹芳郎の各証言を綜合すれば

シヤンデリヤ用クリスタル硝子片の製造、販売、輸出は、被申立人の営業のほとんど全部を占めていること、被申立人が、本件仮処分を維持しうるか否かによつて、ほぼ、被申立人主張のように右クリスタル硝子片の受注額に年間約二、三千万円の増減を来すであろうこと、類似品の増加、及びその廉売のため値引の要求を防止し、被申立人が意匠権者であることによる信用を維持するためにも、本件仮処分が必要であること

が一応認められる。

これらの一応認定される事実からすれば、本件仮処分が取消された場合における被申立人の損害は、本件仮処分による申立人の損害に比して、決して大きくないとはいえず、申立人の主張するように、本件意匠権を他に実施させた場合における実施料相当額を出ないという筋合のものではないといえよう。

しかして、被申立人の前記の損害は、あるいは、その限りにおいて、金銭をもつて補償し得るものともいうことができようが本件に現われた資料だけでは、本件において、仮処分債権者として被申立人が受ける利益のうちには、金銭的利益のほかに、何等の利益も含まれていないと断定することはできない。被申立人が、有効な意匠権の権利者であることを是認する限り、被申立人は、意匠権者として、前記金銭上の利益のほか、その精神的所産である意匠の工業的考案(証人鈴木哲夫の証言によれば、被申立人の本件意匠権は、素材である硝子の品質改良と合せて、旧型シヤンデリヤの硝子片の形状、模様を、光学的な立場から、光彩度をさらに増加し、ざん新独創的な形状模様を生み出すべく、被申立人会社の永年にわたる苦心と努力によつて得られたものであることが窺われる。)そのものに対する保護をうける利益、すなわち、本件意匠権の侵害に対して、単に、金銭的賠償を求めるだけでなく、むしろその侵害そのものの排除を求める利益を有するものと解せられる。換言すれば、本件仮処分においては、被申立人が保全しようとする権利は、金銭的利益と等価値とはいい難く、したがつて、本件における被申立人の権利は、結局金銭的補償をもつてしても、終局的満足を得られないものというべきであるから、申立人の主張は、この点においても採用できない。

(むすび)

五、これを要するに、本件において提出援用された疏明によれば、本件仮処分により、申立人がある程度の損害を余儀なくされていることは、これを推認し得ないではないが、その程度は、これをもつて右仮処分を取り消すべき特別の事情と見るを相当とするほど著しく過大なものとは認め難く、また、被申立人が本件仮処分によつて保全しようとする権利は、必ずしも金銭的補償をもつて終局的満足を得るものと断定し難く、他に申立人のため、本件仮処分を取り消すのを相当とするような特別の事情のあることを認めるに足る疏明はない。

したがつて、申立人の本件申立は、理由がないこととなるから、これを却下することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法第九十五条、第八十九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 三宅正雄 裁判官 岡成人 柳川俊一)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例